今日の輪・適当ブログ

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古屋兎丸先生と『ライチ光クラブ』

こんばんは、のわです。

 

 

本日、通販で頼んでいたこちらの漫画たちが届きました。

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坂本眞一先生×古屋兎丸先生の同人誌『どらちゅう/1985年のソドム』(画像左、反対側の表紙が『どらちゅう』)と古屋先生の『1985年のソドム』続編の『1985年のソドム2』(画像右)です。ヴァニラ画廊様より届きました。

元々私は古屋兎丸先生のファンでして、これらの書籍は古屋先生目当てで購入したので、今回は古屋先生、そしてこの『1985年のソドム』で少し触れられるライチ光クラブという作品のお話を自分なりにしたいと思います。

古屋兎丸先生については、ちょっとアングラっぽい作品をかじっていた人ならほとんどの人が知っている漫画家さんでしょうし、数年前に映画化した『帝一の國』の原作者なので最早かなりの知名度がある方だと思います。

 

私と古屋作品の出会いは、

①私が別の漫画作品のファンだったとき、その作品が掲載されている雑誌で古屋先生の『幻覚ピカソ』という作品が連載していたため、なんとなく一緒に読んで覚えていた

②月日が経ち、インターネット上で『幻覚ピカソ』のファンアートを見つけ、懐かしくなり「古屋兎丸」で検索

③改めて興味を持ち、『幻覚ピカソ』を含めた古屋先生の過去作品を集めるようになる

という流れでした。それからは坂を転げ落ちるようにファンになり、東京でトークショーが開かれるなら急いで予約枠に滑り込んで馳せ参じ、サイン会が開かれるなら喜び勇んで申し込みをして会場へ向かい、作品展が開かれるなら画廊に複数回足を運び、先生本人と握手できた喜びのあまり号泣しました。思えば往復の新幹線代がえぐいことになっていたと思いますが改めて計算したくはありません。良い思い出です。

 

『1985年のソドム』は古屋先生ご本人の自叙伝的な作品で、主人公の降矢少年が「とにかく田舎を脱出したい!」「あの先輩かわいい~」「将来何しよう」と人生を模索していく、そして全ての経験が現在の降矢少年=古屋先生を形作っている……みたいなお話でした。若さゆえの不安感やあるある満載で面白く読めました。で、『1985年のソドム2』にて降矢少年が『ライチ光クラブ』という作品に出会う描写があるわけです。

ライチ光クラブ』とはなんぞや?という話ですが、これは80年代の劇団『東京グランギニョル』による演劇作品です。分かりやすく言うとエログロ耽美系でしょうか。(多分簡単にカテゴライズ出来るものではないと思いますが。)実際に古屋先生が若い頃に観劇して多大な影響を受け、のちに『ライチ光クラブ』を元にした『ライチ☆光クラブ』という漫画作品を描かれました。

演劇作品の『ライチ光クラブ』は全く映像として残っていないようです。私は全く『ライチ光クラブ』の詳細な部分に関しては知りません。観てみたいのにそれすら叶わない……!幻の作品……!ただ「東京グランギニョル ライチ光クラブ」で検索をかければ当時の写真をまとめてくださっているウェブページもありますし、チラシのイラストなんかもちらほら出てきます。いかにもアングラというような魅力的な雰囲気なのでぜひぜひ調べてみてください。私はここから丸尾末広先生や越美晴さんにも興味を持ち、漫画を読んだりCDを購入したりしました。

私は古屋先生が描かれた漫画作品の『ライチ☆光クラブ』しか知りませんが、『ライチ☆光クラブ』を初めて読んだ時の興奮はものすごかったです。ページをめくるたびに心臓がバクバクして、ラストシーンでようやく緊張の糸が切れる体験をしました。あれほどの感覚はもう二度と味わえないと確信しています。ならば原作の『ライチ光クラブ』を観劇した方々はどれほどの衝撃を受けられたのか。想像することしかできないのが悔しいです。

 

でも、『ライチ☆光クラブ』は素晴らしい作品ですが、『ライチ光クラブ』の完璧なコミカライズかと言われるとそういうわけではなく、原作のストーリーを削ったり変更したり付け足したりして古屋先生流に練り上げた、また別の作品なんですよね。両作品を完全に混同している方はいないとは思いますが、やはり比較されたりすることはあるんだろうなぁと思ったり……。調べているうちに、過去『ライチ光クラブ』に出演されていた方の『ライチ☆光クラブ』に対するコメントを発見しましたが、若干辛辣な印象を受けましたし。でもそもそも演劇と漫画では詰め込める情報量が違うから同じスピード感で物語を進めることは出来ないので少し変わってきちゃうのは当然ですし、何より古屋先生が当時感じた感動や衝撃を『ライチ☆光クラブ』によって掘り起こし、それを読者である我々に分け与えてくれたのが嬉しくてたまらないなぁ、とファンの端くれである私はそう思ってしまうわけです。

 

「現東京グランギニョルの最重要メンバーである。僕はいずれ、彼のために1本作品を造らなければならないだろう。」

ライチ☆光クラブ』のあとがきから引用しました。東京グランギニョルの主宰者である飴屋法水氏が古屋先生に向けた言葉だそうです。敬意を表する作品を創った人にこんなことを言ってもらえたら、私だったら嬉しさのあまり死んでたと思います。

 

そして、おそらく芸術に対する価値観のターニングポイントになったであろう『ライチ光クラブ』との出会いを経て、それでも古屋先生が「まんまライチ」ではなく「影響を受けつつも」、「古屋兎丸独自の世界」を生み出し続けてくれているのも素晴らしい点だと思います。まあプロとして当たり前と言われたらそうですが。それ以前にもブラックユーモアが光る『Palepoli』、不安定な線で書き殴った『エミちゃん』、木やガラスを用いた表現が斬新な『プラスチックガール』、最後のどんでん返しが美しい『Marieの奏でる音楽』、マニアックな長編ギャグに挑戦した『π』などさまざまな作品を生み出してきた、その技量と情熱がある方なので、きっと私はそういうところに惹かれてファンになったんだろうなと思います。

 

この記事で何が言いたいかというと、

古屋兎丸先生が好き」

「『ライチ光クラブ』と『ライチ☆光クラブ』はそれぞれ違ってそれぞれ良い」

「古屋先生、今後の連載も頑張ってください」ってことですね。

古屋先生、ご無理なさらずにこれからも素晴らしい漫画を描き続けてください。応援しています。

 

 

おしまい